質の高い記事を書きましょう
ブログ界隈では、何か困ったことが起きるたびに、二言目には呪文のように唱えられている言葉です。
そして、多くの人がこの言葉をとてもありがたがっています。
僕も一時期は水戸黄門の印籠なみに「おっしゃる通りで~」ってなっていましたが、今は「またそれ?」という感じになってきています。
質の良い記事を書かなくてもいいって事ではありません。
ただ、質の良い記事を書くという言葉に逃げ込んだり、煙に巻いているように感じることが増えてきたので、「質の良い記事を書きましょう」という人を見ると、「ん?」と違和感を感じるようになってきました。
だから、こうも思うのです。
ブログ運営を続けていくのなら、その言葉に逃げたり、有難がるのを辞めるほうがいいのでは?と。
「質のいい記事」を書こうを真に受けないほうが良い理由
「質のいい記事を書きましょう」という言葉を真に受けないほうが良いと思う理由は大きくわけて2つあります。
- 「”質の良い記事”ってどんな記事?」が誰にもわからない
- それは解決策ではなくて大前提
この2つです。
そもそもとして質の良い記事とは?
質のいい記事とは何ですか?
そう問われて、それはこれとこれとこれが満たされている記事の事ですと答えられるのなら何も問題はないのですが、現状はいかがでしょうか?
質のいい記事の基準が明確になっていますでしょうか?
なってないのではないでしょうか?
文字数が多い記事が良い記事?
網羅性のある記事が良い記事?
そうだとするなら、なぜそれが良い記事の目安になるのでしょうか?と質問を重ねてみて、的確に確実に答えを積み上げていくことができるのかとなると、多分できないはずです。
なぜなら、質のいい記事とはこういう記事ですという基準を誰も提示していないし、できないからです。
Googleさんも、ユーザー第一の記事が良い記事ですという回答に留まるだけで、順位付けの基準を教えてくれたわけではありません。
なのに、質のいい記事を書けば解決する!と拠り所にしている事自身に無理があるのではないでしょうか?
質の良い記事を書くだけで本当に望みは叶うの?
質の良い記事を書く理由は人それぞれにあるかと思います。
ただ、質のいい記事によって差別化をはかれる人はどの程度いるでしょうか?
僕が知る限りでは、質のいい記事を書き、シッカリと個性を打ち出せている人は、数名しか脳裏に浮かんできません。
あとは、似たり寄ったりの記事を書いているだけだという印象です。
例えば、人気のあるキーワードで検索すると上位には内容の充実した記事が出てきますが、そのどれもこれも似ていますよね?
ユーザー視点で言えば、情報を網羅的に知るという目的を満たすにはとても良い状況ではありますが、運営者目線で考えた時に、他記事と遜色のない記事を書いたとて、自身の望む成果を得ることができるのでしょうか?
さらに言えば、上位表示されている記事を同じような記事を書けばいいんだ!ってことで、10人、20人が似た記事を書き始めたら、自身の記事の順位が下がったり、なかなか上がらないということも起こり得ます。いわゆるコモンディティ化が必ず起きます。
ここで1つの疑問が出てきます。
良い記事を書いているはずなのに順位は上がらないのなら、質の良い記事を書くという一言を拠り所にしたところで望む成果を得ることにはつながらないのでは?ということです。
また、一工夫、ひと手間を加えて他の記事よりも上位に行くことができても、他のブログの運営者がそれを見て真似ることで、また似た記事が溢れて、あなたの記事は順位が落ちるかもしれません。
そんなエンドレスなラットレースが、あなたの望む状況ではないはずです。
回答者が答えようがない時の模範解答になっている
「質のいい記事を書きましょう」という言葉に対して、誰も異論を唱えないと思います。
そんなものに食って掛かるのは、変わりもののブログ運営者だけです。(例えば僕)
ただ、こういう満場一致の言葉というものは、大抵間違いだし、価値もないものです。
事実、「質のいい記事を書きましょう」に関して言えば、”それは解決策ではなくて、大前提”です。
例えば、「試験に合格するにはどうすればいいの?」と聞かれて「努力しましょう」は、当たり前すぎる大前提ですよね?
努力はする上でどうすれば良いのかを聞いているのに、「努力するんだよ」と答えらえたようなものです。
これと同じです。
要するに、何も答えていないのです。
ある問題、ある悩みに対してどうすればいいのですか?と聞かれた回答として「良い記事を書きましょう」なのですが、その回答は問題の解決にはなっていませんよね?
でも、「良い記事を書くことが問題の解決になります」ってドヤ顔で答える自称SEO専門家、自称ブログ専門家的な人は多くいます。
病気の人に「たくさん食べて、たくさん寝ましょう」とだけ言う医者なんていないのに、なぜかこの界隈だけはそういうアドバイスがまかり通っています。
では、良い記事とはどのような記事なのか基準を明示してくださいと言っても、答えられる専門家はまず居ません。
「良い記事を書きましょう」は誰が聴いても正解のような模範解答ですが、何の解決にも至らない言葉なのです。
まとめ
「質のいい記事を書く」。
これを否定するつもりは一切ありませんが、拠り所にし過ぎるのはオススメしません。
なぜなら、それは解決策ではなくて、心構えでしかないからです。
良い記事を書くのは運営者として当然だけど、良い記事を書けば必ず検索順位1位が約束されているわけではありません。
ある程度の良い順位を取ることはできるかもしれませんが、それも競合との兼ね合いです。
良い記事を書いても順位が上がらない事もあります。
でも、「質のいい記事を書く」を大切にし過ぎていると、検索順位が上がらないのは自分の記事の質が低かったんだ…と解釈し、もっともっと手の込んだ、時間のかかる記事を作ろうとするはずです。
その結果燃え尽きたりすると、それこそが一番の失敗となるはずです。
「質のいい記事を書く」は解決策ではなくて、心構えです。
その線引き、区別をした上でブログ運営を進めるほうが、精神衛生的にも、スキルアップしていく上でもとても大切になってくると思いますよ。